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しまなみ晩夏物語

意識高くない営業マンのあれやこれ

カープとワタシと、時々、オトン

物心ついた時からカープファンだった。

理由は単純、親父がカープファンだったからだ。

親父は広島に住んでいたことも有り、また愛媛という土地柄、広島は橋を渡ってすぐなためカープファンの多い土地でもある。

 

小学生の頃のカープはノムケンも緒方も前田も現役だった。江藤も金本もいたし木村拓也もいた。大野も山内も紀藤も佐々岡もいた。黒田は若手だった。

 

休みの日には旧広島市民球場に連れて行ってもらったものだ。

こういう時の親父は見栄っ張りな性分で、子供ながらに親父に悪いな、と思い外野自由席で見れたらいいよ。と言う私の言葉を遮り、内野指定席のチケットをいつも買ってくれた。親父と私が野球観戦をしている間、母親は広島市内のデパートで買い物。これが我が家の贅沢であった。

球場に入った時のワクワクはとてつもないもので、無心にカープの応援をした。

帰りの運転を母に任せ、ビールを飲んで幸せそうにしていた親父の顔をよく覚えている。試合に勝った日に歌う宮島さんは最高な気分にさせてくれた。

 

ただ、私はカープが優勝する瞬間を見たことは無かった。

カープセ・リーグを制覇したのは25年前、当時私が3歳の頃である。覚えていないのも当然である。

 

それから年月が過ぎ、私は広島の大学へ進学した。自然の理であったのかもしれない。広島の歴史はカープの歴史である。広島にとってカープとは当たり前の存在であり、毎日テレビではカープを目にするし、スーパーに行ってもカープの応援歌が聞こえてくる。夕方、市内へ行くと背広を背負ったサラリーマンがビール片手に球場へ足を運んでいる。カープが生活とともにあるのだ。

広島の某銀行に勤める父を持つ友人からよくシーズンチケットでの観戦のお誘いがあった。ダグアウトの真上から観戦できる特等席である。しかし試合の後半には大体結果が見えており、最上段の喫煙所でタバコを吹かしながら、隣接するバスセンターから出発するバスの運ちゃんに指で数字を作って結果を伝えたりしていた。優勝争いは縁の無いものだった。

 

転機が訪れたのは私が愛媛に戻り就職してからだった。新しいスタジアムが建設された。カープ女子なる言葉ができた。クライマックスシリーズに出場した。が、あと一歩及ばなかった。

 

緒方監督が就任して二年目の今年、カープは躍動した。打線は新井が中心となり、若手がその背中を追った。投手陣は黒田が男気溢れるピッチングを見せ、若手がマエケンの穴を埋めた。

去年までだったら点差が開き終盤には諦めていた試合も投手が奮闘し、打線が追いつき逆転した。

 

マジックが1に迫った。9月10日の2位巨人との直接対決である。

いてもたってもいられなかった。仕事を終え私は愛媛から広島へ向かった。車にはテレビがなかった。橋を渡りradikoRCCの中継を聞きながら広島へ向かった。晴れの暁には広島で旨酒を酌み交わしたかった。

旧広島市民球場に着いた頃には6回を迎えていたと思う。オクトーバーフェストが開催されていて多くのカープファンが集結していた。パブリックビューイングは催されていなかったためファンの多くがワンセグで固唾を呑んで展開を見守っていた。

9回2アウト旧広島市民球場にはあと一球のコール。

中崎がショートゴロに打ち取った瞬間、球場は沸いた。周りのファンと抱き合って、ハイタッチをして気づけば私は笑いながら泣いていた。心待ちにしていた瞬間だった。

 

緒方監督は言った。

 「本当に長い間お待たせしました。おめでとうございます!」

監督もまた、カープの優勝を心待ちにしていたカープファンの一人であったのだろう。

 

試合が終わり広島一の繁華街、本通りに繰り出した。そこには笑顔が溢れていた。

私がずっと待ち望んでいた光景がそこにはあった。

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